教育のあり方

こんばんは

社員教育のゴールは「自立」だと決めている、春日井市議会議員であり、春日井市内を中心に美容室ほか様々な業種業態にて店舗展開をさせていただいている株式会社ブランシェの鈴木貴之です。

もう直ぐ4月。

新入社員さんが入ってきますね。先輩社員の皆さん、準備は完璧ですか???

新人さんからどう見られるか?ちょっと気にしてカッコつけて欲しいなと思います。


※何年か前の入社式の後の僕の誕生日をみんなで祝ってもらった時の写真
 毎年、めちゃくちゃ嬉しい瞬間です

そもそも

「教育」って大切ですよね。

僕はそう思います。

会社の社員教育もそうですが、子どもに対しての学校教育もそうで、その学校教育が今、大きな過渡期を迎えています。

昨日のblogでもご紹介した吉田田タカシさんも仰ってました。

「今までの暗記型の教育を続けたらもう日本は終わる」

と。

このスライドがとてもわかりやすかった。

教育のベースにあるものは何か?それが根っこ。
それは「自己肯定感(自信や安心)」

次に木の幹となるものは何か?
それは「意欲・主体性」。

幹の次は枝葉、
それは「知識・発想力・表現力・思考力・創造力、、、、」などなど

そんな感じで全てが自己肯定感を元に繋がっていく。

僕自身のことを振り返ってみると、僕はまぁまぁ真面目な学生でした。(自分で言うか!笑笑)

だから、先生の言うことは守って黒板を写したし、ノートもちゃんと執った。宿題もやった。

その結果、普通の高校へ行き、普通の大学へ行った。

自分がやりたいことが見つからないからとりあえずみんなと同じように勉強して進学した感じ。

そんな学生時代。

でも今考えてみると、やりたいことがわからなかったと言うよりも、探していなかったように感じる。

ちゃんと考えていなかったと言う感じ。

でも、52歳になり、経営者であり、市議の立場から見てみたら、あーーー違う違う、そんな真面目な子よりも、もっと色々なことに興味を持ってチャレンジしてた子の方がきっともっと伸びしろあったし人生オモロかったと思うよ!!って言いたい。

そう、何が言いたいかというと、言われたことだけをやり続けることで得られるものは”薄い“と言うこと。

だって楽しくないもん。

自分は何がしたいのか?何が好きなのか?

そんなことをちゃんと考えるべきだったなぁと。

僕は決して自己肯定感が低い子ではなかったと思う。

生徒会とかもやってたし。友達も多かった。

でも、厳しい家庭に育ったがゆえに「先生や親の言うことは絶対!!」と言う見えない鎖にいつも繋がれていたように感じる。

だから、自分から「あれがやりたい!!これがやりたい!!」と言うのは言えず、鎖が外れた社会人になってから芽生えた感情なのかなと振り返る。

それからの人生の楽しいこと。楽しいこと。

昔の言葉で言えば「社会人デビュー」ってやつ。

自分が好きなファッションの業界へ就職。でも頑張っても給与が上がらない、サボってても歳を重ねれば給与が上がる不思議なシステムの会社、、、これに嫌気がさして上司と喧嘩して最初の会社を退職。

次も広告デザインの会社がカッコいいなぁと思って未経験で飛び込む。

日本で一番大きいTから始まる自動車メーカー直営の販売店をノリと勢いで担当し、広告の楽しさやデザインの可能性を知る。あまりにも楽しすぎて、仕事に明け暮れていると、社長から”休め”と言う指示が。「働き方改革」などと言う言葉が皆無だった時代にもかかわらず、このような優しい対応に、ノリに乗っている僕は意味がわからず、「僕の頑張りに水を差すな!!」と意見の相違で退社。

その後、ノリと勢いだけで突っ走っている(←褒め言葉ね)地元の美容室で拾ってもらうことに、、、、

今に至る、、、

そう、自己肯定感が無ければ、自分から何かを仕掛けようとは思わないし、僕みたいに厳しく叱られて育ったら、やっていいのかどうか確認しなきゃ何もやれない人間になってしまう。いちいち誰かに何かを確認しながらことを成す。

これ、楽しくないよね。

全然。

自分の価値観で自分のやり方で自分の成果をあげられたら最高じゃん!!!

やってみたら僕は最高でした!!!

だからまた次、また次ってアイデアも出てきたし、何時になっても休みがなくても働き続けれた。

教育の仕方でこんなに生き方まで変わってしまう。

正解を教えて暗記させる教育じゃなくて、ある程度できるなと感じたら任せる。

ただ無責任に任せてたらそれは放置。そうじゃなくて、伴走するイメージ。

これが本来の教育のスタイルだと思う。

やらせると言うよりか、一緒にやる。

とりあえず過去の話は参考までにして、自分たちが見たり聞いたりしたものを信じて新たに作り上げるイメージ。

こんな教育、楽しくない??

僕はそんな社員教育を行う会社にしたいし、行政でも主体的に考えて動ける子どもたちを増やしていきたい。

そう思います。

そんなことを感じさせてくださった吉田田タカシさん。

最高です。

またお話をゆっくり伺いたいと思います。

と言うことで、今晩はここまで!!

では!!

<本日の感謝>

・榊原会長:大勢でのご利用誠にありがとうございました!!佐藤さんとのご縁もありがとうございます!
・船戸さん:ロジカルかつパッションなお話をありがとうございます!次はワイン祭りです!
・範子店長:いつもお心遣いありがとう。さすがです!!
・加藤さん:いつも送迎いただきありがとうございます!!!!

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コメント

  1. 塚本紀之 より:

    教育はどんな時代でも考えさせられる課題。今回もいろいろ思いながら、反省もしながら、読ませていただきました。
    詰め込みの教育だけではこの先の発展が見込めない、とは多くの方が語っており、この20年でキャリア教育とアクティブラーニングの普及が日本では進められました。そこでは「実践教育」とか「自主的学習」などの用語が重宝されていたようです。鈴木さんの文章の中では「仕掛け」が重要かと感じました。
    私も現在、多文化共生でいろんな仕掛けを実践しています。うまくいったり、いかなかったりですが、事例を積み上げるだけでも意味があると、勝手に思うようにしています。その意味では自己肯定感の強さは親から貰えたのかと感謝です。多文化共生という言葉もかなり使われていますが、私が学生の頃には「異文化交流」という言葉があり、同様のことかと。だから日本社会では簡単には多文化共生は根付かないであろうとも考えています。
    現在、私は多文化共生に力を入れていますが、これまで若者を「教育から社会につなぐ」仕事をやってきましたので、若者が外国人や同性愛者や障害者などに変わっただけ、私の中ではキャリア教育や職業教育の延長だと思っています。春日井市でも多文化共生活動が進展していると思います。機会があればご報告をお願いします。

    • 鈴木貴之 より:

      塚本先生、コメントありがとうございます。
      「多文化共生」は思いやりであり、いかに自分ごとにできるかで捉え方が変わるなぁと感じます。
      「僕には関係ないです。」と言ってしまえばそこまでの話になってしまうので。
      全てにおいて興味を持ち、相手の立場になって考えれば万事上手くいくんですけどね。
      それがなかなか難しい、、、、
      日々精進です。

      春日井市での多文化共生の活動実績は確認して共有させていただきますね。
      引き続きよろしくお願いいたします。

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